わたしが教師として何よりも大切にしていたいのは、当時も今も、そしてこれからも変わらず「過程」です。結果に対しての喜びも悔しさも、とにかく、心の底から〝嬉しい〟〝悔しい〟と思えるためには、その結果までの「過程」が大事だと思っています。誰でもうまくいけば嬉しいですし、失敗すれば悔しかったり悲しかったりするものです。でも、その「過程」が適当であったり薄っぺらなものであれば、そう感じる心も薄いものになってしまうものです。
その時は「嬉しい」「悔しい」と思っても、その後に行動につながらなければ、成長への大きなチャンスを逃してしまうかもしれません。結果への「思い」を強く、深く感じる経験が、子どもたちにとって確かな成長への一歩になるものだと思っています。そして、良い結果も不本意な結果も、どちらの結果に対しても、強く深い思いをもつことができれば、その結果をきっかけに、次へのステップを自ら踏み出せるのも子どもたちだと思っています。
あの2年間も、「過程」を大切にし、その過程から生まれる「結果」への思いが大きなものになってほしいといつも思っていました。そして、どんなに遠回りをしても、そういう時間を費やしていたつもりです。これには時間も手間もかかり、教育課程の中で限界はありますが、私が思い描き、願っていたよりも、はるかにあなた方は主体的に「過程」を大切にしていました。
あの頃のあなた方は「過程」なんて意識していなかったと思いますし、その意味もわからなかったと思います。でも、大人になった今、あの頃の自分自身や教室の仲間のこと、卒業の時に抱いた思いを振り返ってみた時、わたしが大切にしたいと思っていた「過程」の意味やその大切さを、何となくではあっても理解してもらえるのではないかと勝手に思っています。
言葉ではうまく説明ができないかもしれませんが、どこまでも「過程」を大切にする経験を積んでいたあなた方ですから、「過程」を大切にすることで得られる感動の大きさや尊さを知っているはずです…。
いよいよ次回から「蚕」の話が…
つづく…
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