平成12(2000)年4月中旬、5年2組の社会科の授業では「稲作にはげむ人々」という単元を学習していました。その中で、教科書に出てくる新潟の六日市の今井さんという方が、時代の流れの中で「養蚕」から「稲作」に変えたことが記されていました。すると、自分の家が黒川で兼業農家を営んでいる優人さんが、
「昔、うちでは『蚕』を飼っていたんだって!」
と、自分の家も黒川で「稲作」をする前は「養蚕」をしていたということを調べてきてくれました。そして、黒川の農家の多くは、かつて「養蚕」をしていたということも教えてくれました。
この優人さんの話が全ての始まりでした。
このことをきっかけに、大型連休中、麻生図書館に足を運んで「養蚕」のことを調べたり、知っている人や田舎に電話をして聞いてきてくれたりと、あなた方は主体的に動き始めました。そして、栗木台小学校の学区で、かつてたくさんの「蚕」が飼われていたという事実を知ったのです。 黒川は、川崎市で最後まで養蚕が行われていた地域でもあり、平成3(1991)年まで行われていたことや、戦時中、兵隊の食料生産のために「養蚕」が続けられなくなったという事実も知りました。
私は、学生の頃に近くのとんび池球場で野球をした際に、球場横の公園にある石碑を読んでいて、その中に「ここはかつて養蚕の盛んな地域」と書かれていたので知ってはいました。そして、栗木台小学校に異動することがわかった時、頭の中に、社会科や総合的な学習の中で、いつか「養蚕」を取り入れていきたいな…ということはなんとなく思い浮かべていました。何かを調べたり、教材を見つけていたわけではなく、具体的な案などはもちろんなく、漠然といつか取り入れていきたいなという程度で、まさか最初の年に、あのような学習展開が待っているとは想像もできませんでした。
つづく…
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