栗っ子だった皆さん、そしてご家族の皆様へ
この「はじめに」には、今回の連載を始めさせていただくにあたり、そのきっかけやわたしの思いを書いています。そのため、文章が長くなっていますが、これから始まる連載は、3~5分程で読めるものになります。
現在、夜間定時制高校に勤務しているため、配信は夜遅くになりますが、朝から目にすることができると思います。土日を除いて毎日配信の予定ですが、それでも連載は1年半近くかかってしまう予定です。先は長くなりますが、毎日のちょっとした楽しみに、そして、大げさではありますが、今を生きる自分にわずかであっても活力になってくれるならば嬉しいです。
わたしの独りよがりな考えや思いが多々あったり、つまらなかったり、同じことが繰り返されていて飽きることもあると思います。そんな時は流し読みでも良いですし、休んでもらえればと思います。全てを読まなくても、あの頃の自分に出会える場面がきっとあると思います。そういうところで楽しんでもらい、そして、何か感じることがあってくれれば…と願っています。
今回の「はじめに」だけは、最後まで読んでいただけると幸いです。
わたしは、今から25年前の平成12(2000)年度と翌年の平成14(2001)年度の2年間、栗木台小学校の教室で、「蚕」という生き物との出会いを通して深めたあなた方のクラスの絆の深さを、四半世紀たった今でも変わらず感じています。むしろ、時間がたてばたつほど、その思いは強く深くなっているように感じます。これまでに何度もクラス会を重ねてきたあなた方ならば、わたしのこの思いと同じ思いを抱いている人もきっといるのではないでしょうか…。
あなた方の記憶の中に、24年前、25年前のクラスのこと、蚕との出会いから生まれた学習活動や学級活動のことがどのように残ってくれているのかはわかりません…。でも、わたしの記憶の中には、あなた方やあなた方のご家族に、教師という仕事のやりがいや魅力、教育に携わる者の責任の大きさを改めて気づかせていただき、学ばせていただいた特別な時間として心に強く残っています。
2年間、あなた方の探究心と好奇心から生まれた数々の探究課題…。その課題解決の中で見せた探究心や行動力、ねばり強さ…。その確かな過程の中で生み出され続けた計り知れない価値の大きさ…。その全てが想像をはるかにこえるものでした。その中で築きあげた友情や人間関係、周りの人たちを大切にする気もちがどれだけ尊いものであったのか…、蚕から発展した活動を通して育んだ学級がどんな学級だったのかを、あの頃毎日発行させていただいていた学級通信、そして私の当時の記録と記憶を基に、今さらかもしれませんが、あなた方自身にあらためて伝えたい…、知っておいて欲しいという思いがありました。そして、その思いがより一層強くなる出来事がありました。
それは、平成14(2002)年3月3日、みんなでつくりあげた朗読劇「蚕は友だち」を、群馬県の碓氷製糸農業協同組合の茂木雅雄組合長さんが観に来てくださったあの日、わたしは、卒業を間近に控えた6年2組のあなた方と茂木さん、そして、あなた方のご家族が見守る中で、一つの約束というか願いを伝えていました。
「子どもたちが成人したとき、必ず碓氷製糸農協と茂木さんを訪ねます」と…。
その時のことを覚えていた人たちは少ないかもしれません。一人ひとりそれぞれの道を進みながら心身ともにたくましく成長し、成人を迎えるまでに、わたしも平成18(2006)年に虹ヶ丘小学校へ、平成21(2009)年には市内の髙津高校定時制へと異動していました。栗木台小学校を離れても、わたしは、碓氷製糸農協に茂木さんを訪ねる日が来ることを願い、ずっと楽しみにしていました。
そして、平成22(2010)年の8月20日。成人したあなた方と一緒に、あの時の約束を果たす…というよりも、あなた方の協力を得て、ついにその願いを叶えることができました。この日は、一つの区切りでもありましたが、わたしの心のどこかに、「わたしがやるべきことはまだある…」という思いを抱きました…。
成人したあなた方と碓氷製糸農協を訪問し、茂木さんを前にしているときのあなた方の表情を見ていて、あなた方との2年間をもう一度振り返り、5、6年生の頃のあなた方の純粋さ、誠実さ、そして探究心、好奇心、ねばり強さがどれほど大きく深いものだったのか、どれだけ「すてきな子どもたち」だったのかをわたしなりに伝えたいという思いが沸々と湧いてきていました。
湧いてきたものを冷静に考えてみると、あの2年間を振り返りたいのは、あなた方に伝えたいというよりも、あなた方から多くのことを学んでいた自分自身が、もう一度あの2年間の時間がどのようなものだったのか、自分自身にとってじっくりと振り返りたいと思ったのかもしれません…。
あなた方の担任をさせていただいていた時は32、33歳だったわたしも50代後半となり、あなた方はあの頃のわたしの年齢よりも年上になっています。卒業してから23年…、振り返ってわたしなりに伝えたい…と心に決めた平成22(2010)年の夏から15年も過ぎてしまいました。
遅かったと思いますが、遅すぎたとは思っていません。あなた方はまだまだ若い!そして、何年たっていても、むしろ、年齢を重ねているからこそ、子どもの頃の自分の姿が今を生きるあなた方へのエールになることがあるかもしれない…、そう思っています。
この連載を配信できるように、クラスの一人である幸樹さんが、忙しい中、時間をつくって、仲間とも相談しながら手伝ってくれました。あの頃と変わらぬ誠実さで準備に携わってくれた幸樹さんに心から感謝しています。
あなた方の2年間の取り組みは長期にわたり、多岐にわたり、あまりにも壮大で、残っている資料も膨大ですが、この連載は、2年間、最も近い特等席で見させてもらってきたわたしにしかできない大事な役目だと思っています。
あの頃を懐かしみながら、あの頃の自分たちがやり遂げたことがどれだけ壮大で夢のあることだったのか…、そして、今の自分にどこかつながっているものがあることを感じ合えれば…と思い、「栗っ子が紡いだあの日々」と題し、月曜日から金曜日に週5回、毎日少しずつ連載していきます。
通勤や帰宅の途中、休憩時間、家事の合間、子育てのちょっと空いた時間や就寝前などに、スマホやパソコンなどで読んでいただければと考えています。できればあなた方だけではなく、ご家族をはじめ、共有したい方、あの頃の自分たちのことを知っていただきたい方、伝えたい方にも読んでいただければ幸いです。
教育課程での位置づけとか、教育的価値とか、教育実践として理論づけることなどは考えていません。もちろんそれは大事なことであり、理論づけることで評価を受けるのだと思います。義務教育の教育課程の中で実践していた一つの活動であり、当時は、学習計画はもちろんのこと、学級経営案の中にも位置づけ、わたしなりに考えて進めていました。それがなければ公立の学校では認められません…。でも、あなた方の中に、そんな位置づけや教育的価値、評価を求める人はいないと思います。価値も評価も自分たちが一番わかっていることであり、ここではただ、一緒に実践したあなた方とその家族、そして関わってくださった多くの方々との思い出や仲間と情熱を傾け続けた活動を振り返り、懐かしさを感じる中で、今の自分に元気を与えられるものになってくれれば…、それが一番だと思っています。
10月10日金曜日から連載を始めたいと思います。
25年前の平成12(2000)年4月5日水曜日、初めて出会ったあの日のことを覚えていますか?
コメント
初日に先生が体育館で紹介されてたのはなんとなく覚えてますねえ
続きが楽しみ