かつて黒川で養蚕が盛んであった頃から、2月の初午(はつうま)の日に、その年の繭の豊作を祈って養蚕農家の女性の方々によって行われてきた「蚕日待講(かいこひまちこう)」。始まりは不明ですが、おそらく江戸末期ごろから受け継がれてきたと言われています。「蚕日待」では、座敷の正面に養蚕の神様である「蚕影山大神」が描かれた画軸を掲げ、御神酒や団子などをお供えし、さまざまな料理を用意します。そして、「蚕影山和讃」と呼ばれる念仏を鉦や鈴を鳴らしながら唱えます。
下黒川では、養蚕農家がなくなっても「黒川蚕影山和讃保存会」として残り、あなた方が探究していた当時は24軒の女性の方々が最盛期の伝統を受け継ぎ、唱え継がれていました。初めて「蚕影山和讃」を知ったのは、1学期の総合的な学習の中で、朗宏さんが持ってきてくれた地元保存会のビデオを視聴した時でした。朗宏さんのお母さんも保存会のお一人であり、保存会や和讃について興味を持った人たちが、朗宏さんのお母さんにお話を聞きに行くなど探究していました。学習発表会の中でも、幕があがるときにあなた方が唱え、地元黒川の伝統芸能を具体的に表現しました。「蚕影山和讃」は3節あり、1・2節目は「蚕の由来」について、3節目は「蚕の一人語り」が唱えられていました。
「蚕影山信仰」は黒川だけではなく、かつて区内各地でも見られたそうです。「日本民家園」にある蚕影山祠堂(しどう)は、同じ麻生区岡上の東光院から移築されたもので、あなた方の中には、実際に日本民家園を訪ねて見学してきた人もいました。
つづく…
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